木
13
5月
2010
前回、自己イメージは必ずしも実態と合わず、タイプを誤認する可能性があるというお話をしました。それについて少し補足します。
タイプ診断テストの結果が絶対正しいとはいえない理由のひとつは、
自分を客観的に見るのは難しいということです。
日本の多くの団体では、エニアグラムのワークショップにおいて、
絵を描くという手法を取り入れています。
(ちなみに海外では、そのようなことはありません。)
この方法で気をつける必要があるのは、たとえば、自分自身を
花や動物で表現して下さい、という課題だとしたら、それは
自己像に近くならざるを得ないということです。
繰り返し述べていることですが、エニアグラムのタイプを見きわめるには、
あるがままの自分や実際行動を見る必要があります。
ですので、こうあってほしい自分を描いて、
それをタイプ診断に使ったら、タイプを誤認する可能性があります。
性格タイプ診断テストについてもそうです。
よくあるのですが、回答で選択しているのは、実際の自分なのか、
こうあってほしい自分なのか、迷うことがあります。
確かにグループにおいて絵を描くプロセスの中で、
お互いの気質(タイプ)の違いを実感したり、自分や人について
何らかの気づきがある可能性は否定しませんが、
自分を表現した絵というのは、あくまでも自己像に近いということを
しっかり頭に留めておく必要があるでしょう。
また、絵を使ったタイプ診断が行われることがあります。
確かに、同じタイプであれば、絵の描き方や出てくるシンボルなどで、
似たような特徴が出る場合もあります。
けれども、絵の中でこういう要素を描いたから必ずこのタイプと
決められるほど、人間は単純ではありません。
ひとりひとりの人がこれまで異なる背景や経験の中で育んだ感性が
絵に反映される訳ですから、同じタイプでも異なる要素を描いたり、
逆に違うタイプでも、共通した要素が絵に反映されるかもしれません。
エニアグラムを活用する際には、ひとりひとりが神秘的な存在である
ということを前提とする必要があります。そうでなければ、人間観が
単純なものとなり、学んでいても、深みが感じられません。
エニアグラムの中で絵を活用するとしたら、それはあくまでも「探求」
のためであり、安易な自己納得のためではないということを理解して
おく必要があります。
私たちのワークショップでは、タイプ毎のグループをつくるということも
通常は行わず、あくまでも「個」として探求することが大切だと
考えています。リソ&ハドソンも、タイプ別のグループに分けるという
方法はとりません。
確かにタイプ別のグループで、そのタイプについて話し合いをすることは、
一方的な講義とは違い、受講者の積極的な学びの場となる可能性があります。
反面、タイプを誤認している人が多いと、間違った理解が
定着してしまいます。人は、お互いの共通点を見出しやすい
傾向もあるので、本当は違うタイプどうしでも、「私も
そういうことがある」というように、共通点にフォーカスして、
同じタイプだと思ってしまうこともよくあります。
とても深い記事ですね。
セミナーやワークショップでこれまで4回絵を描き
他の参加者の絵も見ましたが
当記事のような内容を薄々感じていました。
「こうあって欲しい自分像」については
人が生活していく上で、しょうが無いことだと思います。
芸術家であれば自称タイプ4。
ビジネスマンなら自称タイプ3。
公務員なら自称タイプ6。
研究者なら自称タイプ5。
(違ったらご指摘願います)
どんな仕事や立場であれモデルとなる理想像が有り、
それに合わせた行動を取るのは仕方ないと思うのです。
だからこそ、
あるがままの自分を受け入れて
見つめることが難しくなるんでしょうね。
ふざけるつもりは無いのですが、
理性が外れるという意味で、
生命の危機を感じる状況や、
アルコールが入った状況などを
意図的に作り出すタイプ判定があったら?
と考えてしまいます。